人は死ぬ

先週水曜日に、父方の祖母が他界いたしました。死因は老衰、享年93歳でした。木曜の朝から両親の実家のある滋賀に帰って、夜にはお通夜、翌日の昼から告別式、土曜に父の実家にもう一度顔を出し夕方に神奈川に帰ってきました。
この歳になって、恥ずかしいことなのかありがたいことなのか、わかりませんけども、親きょうだいはじめ自分にちかい親戚を亡くした経験がありませんでした。私に物心がつく前に、戦争と病気で祖父は亡くなっていました。木曜日に祖母の遺体と対面して、隣にいる父が、「おばあさんの顔、よう見たってや」「きれいな顔して死んではるわ」ってずっと言ってるんですが、もう全部他人事みたいに響いてました。頭の中はみょうに冴えていて、「眠ってはるみたいやね」って言ってる母に対して『あ、「タッチ」の中にこんなせりふあったっけ』とか冷静にものを考えている自分がいたりしました。
もう長くないであろうことはだいぶん前からずっと父も言っていて、先月、両親は祖母に対面しておくんです。「あの時帰っといてよかったやろ」って父が母にボソッと言っていたのが印象的でした。
「葬式は孫のまつり」というそうですが、祖母の孫たちの子供(ひ孫)が乱舞して、終始、大変にぎやかでした。子供が総勢6名も集まると、大変ですね。にぎやか。

『天』の赤木しげるさんが「俺が見てきた限りじゃ、あったかい人間はあったかく死んでいけるんだ」と言っていました。福本漫画の根底に流れるスピリットが大変よくあらわれたせりふで、私はこの言葉が大好きなのですが、おばあちゃんはあったかく死んでいったなぁとしみじみしました。自分も、あったかく見送れたような気がします。こういう言い方は不謹慎なのかもしれませんが、よいお葬式でした。

また『天』の話になるんですが…。おばあちゃんは二年前に腰を悪くして、歩けなくなってしまって、ずっと入院していたんです。そしたら一気に頭のほうも、ぼけていってしまって。入院してすぐに一家でお見舞いに行ったのですが、それまであれほどかわいがっていた父のことを誰かわからない様子でした。それが、私が今世紀受けた、一番のショックでした。腰はまがってもなおかくしゃくとして、働き者で、数字につよく、つい最近まで自転車にスイスイと乗っていたおばあちゃんが、父に対して小さな声で「誰や」と言った瞬間のショックは、なんとも形容しがたいものがありました。

『天』の中でギャンブルの超天才の赤木さんはアルツハイマーにおかされ、自ら死を選びます。仲間は「生きてこそ」と必死に止めるんですが、赤木さんは最期まで「勝負」に、「赤木しげるが赤木しげるであること」にこだわり、自分の意志を曲げませんでした。そして死を選んだ。私はおばあさんが死んだときよりも、この「誰や」の瞬間のようがよほどショックで、その理由はきっと「おばあさんがおばあさんであること」が失われた瞬間がこのときだ、と自分の中で理解したからなんだろうと思います。


しめっぽい話になってしまいました。すみません〜。土日の間にお会いできた方たちに元気をいただき、なによりおばあさんに元気をもらい、私は今日もがんばってます。休みの間、連絡が遅れてしまったかたたちには大変申し訳なかったです。すみませんでした。そしてありがとうございました。この日記を読んでいただいたかたも、特にお気遣いは不要の方向でお願いします。メールでも、電話でも。ただ一度だけ、「おたけさん」というみんなに愛されて、戦争ではかりしれない苦労をしたけど、家族に囲まれてあったかく死んでいったおばあさんがいたことに、一瞬だけ思いを馳せていただければすごくうれしいです。
ここまで読んでくださったかたがもしいらっしゃいましたら、そのかたは女神です。ありがとうございました。こんなときまで漫画の話ですいませんでした。