最近、禁煙関係の仕事をすることがありまして、タバコについていろいろと調べました。よく百害あって一利なし、と言いますが、昔テレビで松本人志が「ああー吸いたいと思ったとき吸ってスッキリできたらそこに一利あるんだ」というようなことを言っていました。確かに吸う側にとってみたらその通りだと思います。ただ、皆さんご存知のとおり、タバコの本質は薬物依存です。薬物依存の人が、それを摂取できてスッキリしたからといって「ああそこに利益がありますね」とは、常人の感覚ではなかなか言えないと思います。だから松本人志の言っていることには完全には同意しかねます。気持ちはわかるけど。

ただ、タバコを過剰に敵視して排除しようとする傾向にも、私自身は疑問を感じます。タバコは文化でもあります。たとえば、銀魂の世界において、タバコはきわめて重要な小道具であるといえます。タバコというタバコがすべて取り除かれた銀魂の世界なんて、想像するとちょっとキモチワルイ感じがします。なんだか少し、過剰に“健康的”な感じがして不自然だからです。

タバコが健康なものだと思って吸っている人なんて、1人もいないと思います。みなリスクを背負いながら、不足したニコチンを補うためにせっせとタバコを吸っているのです、きっと。その感覚が非喫煙者の私にはどうもわからないのですが、ともだちいわく「チョコレートが食べたくて、つい食べちゃうのと感覚的には似てる」ということでした。確かにチョコレートを食べるのにはリスクがあります(吉永小百合は、チョコレートは一年に一度しか食べない、と昔オシャレカンケイという番組で言っていたような気がします)。太る、虫歯ができる、お肌が荒れる(ただし、チョコレートを食べるとニキビができるという説に科学的な根拠はないと聞きました)。でも私がチョコレートを食べることで、人に迷惑はかけないと思います。でもタバコは受動喫煙の問題があります。

そこで私が疑問なのが、喫煙者の傾向です。たとえばレストランで禁煙席、喫煙席のどちらかにとおされる場合、タバコを吸う人が1人でもいれば、喫煙席に座ります。たとえば非喫煙者が「禁煙席でもいいかな?」ときけば、「いいよ」と言ってくれるかもしれません。私のともだちは心優しい人が多いので、きっと言ってくれると思います。ただ、彼、彼女らのほうから「禁煙席でいいよ」と提案されることは、ほぼ100%ないのです。私は、すべてこちらにあわせてほしいわけではなく、あくまで平等にしたいと思っています。たとえばこの間は喫煙席だったから、今日は、禁煙席にしようか、という具合に。非喫煙者には喫煙者の気持ちはわからないから、受動喫煙のリスクをとらせているほうから、なんらか関係を対等に保つための“提案”がほしい、と思ってしまいます。それはわがままなのでしょうか。私のまわりの喫煙者の彼、彼女たちは、本来とても気を使ってくれる人たちなので、そういう平等にしようっていう“提案”がないことに、ニコチン依存症の本質(?)でもないけど、そういうものを見てしまう気がするのです。本来の心遣い、理性を奪うというか…。

自分が我慢するのも確かに好ましくはないけど(喫煙席に座るだけで髪、下着、バッグににおいがつくのが気になるので)、相手に我慢をさせるのはもっと嫌だなーと思います。ましてや私の「チョコレートが食べたい」どころの欲求ではなく、薬物中毒なのですから、もっともっと強い欲求が襲うのでしょう。相手のニコチン依存度にもよると思いますけど。


なんかうまい方法がないものかといつも考えています。喫煙者の方でこの文章を読んで気を悪くされたかたがいたら、すみません。