追加ライブ、12日に参加してきました。ライブ自体は素晴らしかったのですが、隣の人がずーっと携帯電話をいじっていて、非常に気が削がれ、嫌な気分でした。敢えて汚い言葉を使わせていただくと、胸糞が悪かった。普段怒りを覚えることはあまりありませんが、このときばかりは腹の底辺からふつふつ怒りがわいてきて、「メイヨシノ」のときについに堪忍袋の緒が切れて、「携帯のライトが気になるので消していただけませんか」とお願いをしてしまった。私自身、お金を払ってライブに参加している以上、その楽しみ方はそれぞれ自由だと思うし、他人に迷惑をかけない以上、どんな観方をしてもそれはそれでいいのだと思う。でもやっぱり、いくら通話に使わないとはいえ、携帯電話の電源を切るのは最低限のマナーではないでしょうか?開演前、機材のセッティングが始まったら、普通携帯の電源はオフにしますよね?それをライブ中にずーーーーっと携帯をいじっているというのは、どういった了見なのでしょうか?目の前の剛さんよりも大切なものが、携帯の画面のなかに見えるのですか?ソメイヨシノはあなたにとって、携帯をいじる片手間に聴けるような曲なのですか?最前列にいても、あなたは同じことができますか?
剛さんやメンバーのみなさん、スタッフの方々に、あまりに失礼な態度ではないのですか?

こんなことをぐるぐる考えていたら、久々に怒りを覚えました。なんかすごい、怒るって疲れますね。久々に怒りを感じたなぁ。その人はもう何度もライブに参加している風な感じだったけど、いつもああやってライブを楽しんでるのかなぁ。剛さんのこと、好きなんでしょう????よくわかんないな。まぁいいや。もしかすると私の感覚がおかしいのかも知れない。ライブに集中していたら、隣の人のことなんて、気にならないものなのかな?でも私より彼女のほうがセンターよりだから、ステージを見ようとすると必然的に視界に入ってくるんですよね。しかも携帯持ちながら振りもするから、若干前に出ててさらに視界から消えづらいし。

幕之内一歩デンプシーロールをマスターして、視界に入らないようにしてほしいです。

とライブ中は思っていたのですがいまとなっては自分の心の狭さ?に嫌気がさします…。今度はライブに集中したいです。



肝心のライブの感想。CHAKAさん、西川さんが不在でした〜〜〜。さみしい……。でも今日のギタリストの人のほうが、音的には好みです。あの方の音のほうが私は好きです。西川さんのギターはかなり癖があるので……。ツボな人にはたまらないのでしょうが、私はもう少しオーソドックスな音が好きなのです。ま、楽器のことはよくわからないのですが。セットリストは6日に観たときと変わらず(…たぶん)。私がアルバム中で一番好きな曲は、やっぱりやりませんでした。なぜにあの曲だけはやらんのだ!!!!!かなしいよう。ところでわたし、「生きてゆくことが」がかなりお気に入り。だって、ニュースキャスターの原稿の色が赤だったら、超きもちわるいと思いません!?この発想がナイス!とおもいました。あと2番の歌詞がやたら卑猥だし。これは卑猥だ…。何でも「えろいえろい」といって喜ぶのは中学生みたいで好きではありませんが、これは…。途中でテンポアップするアレンジもいいです。好き。曲の構成が剛さんらしい感じですよね。

MCに関しては、あれだけいろいろなことを問題提起されると、私も超質問したくなってしまって困ってしまいます…!剛さんはどうして今の時代「愛が歪んでいる」なんて思うんだろう?それって誰の愛?人間の愛情が歪んでいるのはいつの時代も同じじゃないの?たとえば日本でも戦争がおこなわれていたとき、人の愛情は正しい形をしていた?その時代、その時代の「いびつ」さがあったのじゃない?そういったいびつさを受け入れてこその大きな愛なのではなくて???剛さんが言っているのは、どういう「愛」のことなのか、私にはよくわからないので、是非サシでお話をしてみたいのですが、たぶんそれは叶わない希望なので(笑)、これからも彼のMCをきくたびに疑問符は蓄積されていくのでしょう!
そういえば私はTHE YELLOW MONKEYというバンドがすきで、彼らの曲にあった歌詞で

愛とか強調すると顔が変になるよ

というフレーズがあって、この曲を聴いた当時、私は「これは真理だ!」と思った記憶があるのですが、今の剛さんNMCは愛と言う言葉に支配されている感じで、なんか奇妙な感覚です。どうしてあんなに愛にこだわるのかな?

たぶん、愛こそすべてなんだろう。流石剛さん。たぶん剛さんは、「言葉の力」をすごく信じている人なんだろうな、と思いました。言葉によって救われたり、どん底に突き落とされたり、そういう経験があるのかな、と思います。音楽の力以上に、言葉の力を信じている感じがする。なぜだろう?