必然性

私は何かに萌えたり萎えたりすると、決まってその原因を探すことに躍起になっている気がする。友人に指摘されてはじめて気がついたことなのだけど、「理由」や「必然性」を探すことは私のオタクとしての基本習性なのかもしれない。ただ漠然と「かっこよかった」「かわいかった」では終わらせられない。「●●だからかっこよかった」「××だからかわいかった」。そんな風に「なぜ」「どうして」をアグレッシブに追い求めずにはいられない。
最近では特に「必然性」にこだわって生きている気がする。何でだろう。その割りに他人の主張する必然性にはさほどこだわりがない。というよりも自分の主張する必然性にこだわりがないのかも知れない。私がその場で「これはいい!感動した!」と思った気持ちは、私のなかで勝手に永遠になる。そのあとから何かあっても、結構いろいろどうでもいいなーと思ってしまう。こだわりが持てない。究極の自己満足型なのだろう。
そもそも「必然」というのは非常に強い言葉なので、こんな風に使うこと自体が間違っているような気もする。まぁいいや、なんだって。私はみんな違ってみんないいと思うし、同じ人ばかりの方が不安になる。自分と同じ主張の人ばかりの世の中なら、そもそも誰も日記を書いて公開しようなんて思わないんじゃないだろうか? 
そんな感じ。
なんだか投げやりなしめになってしまった。