可愛いと切ない

例えそれが可愛いものでも可愛い筈のないものでも、何かがどうしようも無く「可愛い」と思える時、何故だか妙に切なくなる。誰かも言っていたけれど、私にとって「可愛い」と思う感情は「可哀相」だと思う同情に少し似ている。「自分が可愛い」という言い回しがあるけれど、これには憐憫に浸る自己愛オーラを幾らか感じる。これに似たニュアンスで、何かが可愛すぎると感じるとき、私は相手のことがちょっぴり可哀相になり切なくなるのかも知れない。
男の子は本来「可愛い」生き物ではないし(わかりやすい見た目の「可愛さ」では、男性は女の子には勝てないと思う。二十歳、いや十五歳を過ぎてしまったら、尚更)、単純に「男の子としてカッコイイ」「男らしい」姿を見た時の方が、女である自分に無い部分を強く意識して素直に憧れる気持ちを持てるし、幸せになれる様に思う。
でも、どうしても愛している対象、本来ならその格好よさでみなを幸せにしてくれる筈の対象を「可愛い」としか形容出来ないときってあるんですよね。女の子みたいで可愛い、なんてことではなくて。何か内面的な不器用さ(を感じさせるもの)に微かに触れた時、もう、「可愛い、可愛い」と言って泣きたい気持ちになるんです。「可愛い」筈なのに、胸が押し潰されそうに苦しい。あれはいったいなんなんだろう? 動物や子供の無邪気な可愛さは、私を単純に幸せにしてくれるのに。それはやっぱり、見ている対象が「無邪気ではいられない筈の人」だからなんだろうと思う。そういうギャップのもとに、私は切なさに身を切られそうな「可愛さ」を感じる。

普段が格好いい人程、「可愛い」と感じたときの切なさたるや、凄まじいものがあります。
光一くんの丸っこい指先を見て「可愛い」と思って切なくなるのもそのせいなのかも知れません。私は洗練されたいい男の不器用な指先に、とってもときめいてしまうサガがあるのです。あ、でも剛さんの意外に繊細な指先もとても好きです。キンキのパーソナリティーって本当に真逆だけれど、あの二人が素晴らしいのは表層的な面でも正反対、しかも顔だけじゃなくこういうディテイルにおいてもきっちりと正反対を示してくれるところ。どーもとモードのドクターの証言により「骨の隋までシンメトリー」というのが証明されたときもとても嬉しかった。



私は「男性を『可愛い』と形容することへの違和感」について何度か語ってきたけれど、私にとって「可愛い」とは心臓が圧迫される程の重度の切なさを伴う感情みたいです。毎日毎日「可愛い可愛い」言ってたら身がもちません。あと単純にルックスを「可愛い」と思うことが無いんですよね。二人ともとてもきれいな顔立ちをしているなーとは感じるのですが……。なんなんでしょうね。年下だからかな。キンキに関しては本当にそう。最近二人ともいい感じに老けて男らしくなってきて凄くよいと思います♪

どーーーでもいいんですけど、剛さんはこの「可愛すぎると切なくなる」私の漢心をわかってくれる気がします。なんかわたし、剛さんのそういうところが一番好き(←また推測で告白してる)。なんかわかってくれそう。可愛いと切ない気持ちを。で、光一くんはさっぱり分かってくれ無そう。光一くんってそういう微妙な男心が分からないイメージです。なんかスケベそうじゃないし。不思議な人ですよね。イメージのお話しなんですけどね。