私はKinKiふたりのファンなのですが、最近昔程二人が「二人」であることにこだわらなくなってきました。ソロ活動とユニットとしての活動、最近ではますますソロの方に比重が傾いていますし、二人とも、ソロ活動を物凄く頑張っていますものね。ソロはソロで割り切って応援したくなります。かと言ってKinKiの時に二人が手抜きをしているとは全然思わないし、良い意味でリラックスして二人とも「実家に帰って来た」感と共にお仕事をしているんじゃないのかなぁと思うのですが、それはそれで素晴らしいことだと思うし、いいなぁと思うんです。事務所の思惑、大人の事情と惰性のみで続けているとか、そういう言い方は相応しくない様に思います。


でも時に考えてしまいます。「二人とも好きでいる」ということの意味について。
二人とも好きでいる自分が、自分でも凄く不思議に思えることがあります。
だって二人はあんなに違うのに。

私は、光一くんと剛さんの間には所謂「男同士の仲のよさ」「壊れない普遍的な友情」がある様には思わないんですよね。昔拓郎さんが二人の関係を「親友」と言っていたけれど、それにどーも違和感がありまして。でも拓郎さんは私なんかの五十一億二千四百四十万倍くらい彼らのことを知っている人だと思うから、納得すべきだとも思うし、敢えてそういう呼び方をした部分もあるのかも知れませんが。私なりに感じる二人の仲のよさって「異性の兄弟同士に存在する激しい劣等感(時に優越感)を伴った密室的な愛情関係」という感じなんですよね。これは私が「最もわかりやすいライバル関係は兄弟間に存在する」と考える故かも知れませんが。無条件に慕い合い認め合い、実際自分たちの関係を脅かす「他人」はその血が激しく拒絶してしまう。だけどお互いにお互いを大切に想うのと同じ位、強いコンプレックスを抱いていて。異性的憧れもあるんだけど、決してくっつかないんですよ。兄弟でそうした想いを交差させるのは禁忌だから。だからお互い奪い合いつつ、「一人っ子」状態で寄り添うんですよね(異性の兄弟って、実質、一人っ子×2の状態に近いと思うのです。これで三人兄弟になると違うと思うんですが)。


そういう具合に、あの二人は私にとって「異性同士」なんですよね。どっちが男でどっちが女って言うのでもないんですが、そういう感じなんです。どちらのパーソナリティにも、物凄く男っぽい骨っぽい部分と、ちょっと女々しいような乙女の様な女性的部分が同居してますし。男と女の間には深い深い溝があると言いますが、そういう溝を二人の間にも、また二人のファンの間にもますます強く感じる昨今なんですよね。何なんでしょうね。だから私はキンキ二人とも好きなファンってバイセクシャルみたいなものかなーと思うんですよね。剛も光一も大好きって「男も女も、5:5でイケまっせ」っていう感じなんです。全然ちげーよと言われてしまえばそれまでなのですが、私は「人には必ずどちらかに偏りがある筈だろう」と想うんですよね。そういう意味では私は異性愛者ですし……でも、女性には女性の魅力的なところがあるし、それを言ったらそもそも性別というカテゴリーの存在自体がナンセンスな気もしてくる。でも実際男女の肉体には異なる部分があるし、枠組み=骨組みからして大きく異なっている。私は「ヒトは、肉体という入れ物によって、如何様にも心のかたちを変えるもの」という考えのもとに生きているので、まぁそうやって男女を区別して色々曖昧にしたいことを明瞭にさせるシステム自体は悪くないと思うのですけど……。


話しがずれましたが、この話しは別に「二人のファンが悪い」という話ではないのです。
そんな自分が疑問だなぁと言うだけの話しであって……。色々複雑です。