女になりたい

世の男性には、男として生きて日々を過ごしていく中で、ふと一度くらい「女になりたい」と思う時のある人がいると思うんです。私は女ですが、しょっちゅう男になりたいと思って生きてます。まぁそれはいいとして。その「女になりたい」と思ってそうな男性って言って、私がまず思いつくのが拓郎さんなんですよね。拓郎さんは「男もいいもんだと思えるときが来る」みたいなことLOVE LOVEで仰っていたけど、多分それは女が好き過ぎて、女になってみたい=男を好きになってみたい、ってことなんじゃないかなとふと思ってしまったのです。
拓郎さんと剛さんはタイプが凄く似てると私は思ってるので、剛さんもどちらかと言うと「女になりたい」タイプの男性ではないかと推測されます。ほんとに勝手な憶測なんですが。というのも、彼が「自分は女だったら家庭に入りたいタイプ」と自ら言っていたのもある。剛さんは好きな人のために「当たり前のことを毎日してあげる」より「格別喜ばせるsomething specialを不意打ちでしてあげる」ことに生きがいを見出しそうなタイプだと思っていたので、この専業主婦希望発言は非常に意外だった。やっぱつよしさんてよくわかんない。でもこういう具体的かつ現実的な妄想をすることが、かえって彼の女になりたい願望の強さのあらわれなのではーと考えてみるのは穿った見方をし過ぎだろうか。
これについてはもうちょっと考えがまとまらないな。



最近よく「男の純粋さ」について考えます。私の中で男性ならではの純粋さを持つ人というと、まず哀川翔浅井健一が浮かぶ。なんとなく。彼らは「純粋であることに拘っていない純粋な男性」で、本当に所謂「打算」とは無縁の生活を送ってそう。日々心の計算機を働かせている私としては羨ましい限り。「そんなものないわ」って無邪気に言い切りたいんだけどね、本当は…。
で、自分が純粋さとは真逆の立ち位置にいるからこそ、純粋さを自分にも相手にも過剰に求めてしまう人、それが岡村ちゃんみたいな人なんじゃないかなぁーーー。というか、どうして男の人ってこんなに「純粋」なものがすきなんだろう?処女とかさ。不思議だよ。女に生まれついた私には分からん感覚です。剛さんの『Purity』は私は好きな曲の一つです。でもKinKiで純粋さ、というか男の人のストレートさのを感じるのは、私は光一くんなんだけど。だって剛さんが光一くんのこと無邪気っていうからー。とういうのは冗談だけど、なんとなくそう思う。


というようなことをいきなり書いたのは奥田民生さんの「女になりたい」という曲の詩を読んだからです。
カウンターがくるくるくるくるまわってて本当に怖い。壊れてるのかなぁ?二日たたないのに3500行きかねないって怖いです。壊れてるのかなぁ。