ぐだぐだの語り(時間の無駄をしたくない方はお読みにならないで下さい)

以下の文章は、
「ふーーーーーん」
「へえーーーーーー」
「・・・で、なんなの?」
位のお気持ちで読んでいただけると嬉しいです。





今日は「KinKiと私の『萌え』」について書こうと思ってたのに、お友達がそれとちょっと関連したことを日記に書いてらしたので、なんとなく書くのがためらわれる。でもちょっと書いちゃう。うーごめん。
最近、とにかくKinKiに関して混乱しています。それをひとつ整理して、ここで今後の私のファンとしての姿勢を正す&定めるために、「KinKiと『萌え』」について、考え直してみたいとおもいます。
七月の日記で「『萌え』とは、受け手が対象にストーリーを補う行為から生まれるものだ」という、あるアニメーターの発言に触発されて萌えについては多少書いたのですけど、それをここにきて私の現状と照らし合わせ、更に膨らませて考えてみたい。
何故最近の私が「堂本 剛に混乱」していたのか、というと、私が「剛さんに萌えてた」からなんですね、きっと。堂本 剛という「ストーリー過剰」な男に対して、「妄想過多」な私が更にストーリーを膨らませようとしていたのです。それは混乱する筈なのです。私が彼に萌えたそのきっかけは、彼の提供する音楽だったり、言葉だったり、ライブでの姿だったり、例のジャニーズウェブのメッセージだったりしたんですけど。
思うに、剛さんって自分自身に対して(所謂私がここで言ってる)「萌え」という感情(行為、と言っても良い)を働かせているんじゃないかな、と思うのですよね。周りにいる大人を信じていないから、無意識的に自意識(自慰式?)過剰な自分を演出しようとして、結果として誰より素の自分を見せて行きたいと言っている彼が、益々受け手に彼の本質が分からなくなるような、そんな結果になっている気がしてならないんですよ。説明をしなければそこで完成しているものに、「何か補わなければ」という、そういう感情が働いてしまっているんじゃないかなーと自分なりにそう思った訳です。
勿論これは私個人が感じているだけの事柄ですので、中には彼を海よりも深く愛し、彼の言葉を咀嚼し、理解して自分のものにしているファンの方もおられるのでしょうけれど、少なくとも私には彼の回りくどいアプローチを好む「主張」は分かっても、「本質」は分からないんですよ。これは友達も言っていた事だけど、剛さんは何だかんだ素を見せている振りをして、自分の核となる部分だけは、死んでも見せまいと思っている男だと思う。それは好きな人にだけ見せればいい、と思っている人だと思うんです。そんな事無いかな?そういう所が私は凄く素敵だな、と思うんですけど。でも口ではいつも「素の自分を」とばかり言うから、私たちファンは簡単に騙されてしまうし、それが男性アイドルとして正しい姿な様な気もする。
剛さんて多分、凄く自分に興味があるし、自分自身に対して愛情がある人だと思うんですよ。でもそれが悪いって言ってるんじゃないの。それだけ深く自分を見つめている、ということにもなると思うし、根が真面目なんだとも思う。それだけ他の誰かのこと、愛せる人なんだと思う。私はそういう人大好きなんです。例えば昔のWuの「最近気になることは?」の質問に「自分の性格。」なんて答えちゃうような人なんですよ。もう、たまんないでしょ。こんなこと言う人、私は大好きなんですよ。滅茶苦茶自分に興味ある人なんだなーーーと私は感心してしまいました。こんな回答を光一くんがしていたら、私は相当ビビります。
まぁアイドルを相手に本質を掴むも何も無いのですけど、とにかくそういう「本質を見せまい」とする私なりに聞き取った彼の「本音」が、繕われた「弱音」によって、かなりぼやけてしまった、それがこの夏の私の混乱の原因だったのだと思います。私は彼が本質を見せない男だと言うことを忘れ、彼の言葉に惑わされ、ついつい要らんストーリーを彼に補い、「こうなんじゃないか、ああなんじゃないか」と、自分なりの「妄想」をあてはめていました。だから「萌え」たり「萎え」たり、忙しかったんです。
自分自身に萌えてる人に萌えてしまうと、沢山の矛盾が生じてしまい、私みたいに混乱して大変なことになります。やっぱり、堂本剛には「萌え」てはいけない。彼の瞳に映るストーリーを「読み取る」ことに一生懸命なファンでいたいと思います。

けれど、堂本 光一には「萌え」る。以前も書きましたが、彼の瞳は物言わぬ瞳なんですよ。なんとなく寂しげではあるのだけど、ものを語らない瞳なの。訴えてくるものが無い、というのかな。勿論ビジュアル的に観る側に訴えてくるもんはガンガンにあるわけですが(だってキレイな目してるでしょ)、彼的に、写真なんかでこっちに何かを訴えるような視線を送るのは、非常に苦手なんじゃないのかなーと思うのです(剛さんは得意そう)。
だから誰かと一緒にいるときの表情の出やすい光一くんが好きなんです。彼は孤高の人だけど、「孤独」が似合う訳じゃない。剛さんは孤高感は光一くんよりは希薄だけど、実は誰より「孤独」を選択するのが似合う男だと思う。(あくまで周りに沢山の支えてくれる人がいて、自分から「選択」するっていうのがポイント)光一くんは自分について語りたがらないので、妄想するこちらには矛盾が生じにくく、ある意味「萌え」やすい存在なのです。放って置くと、光一くんの写真見てるだけで泣けてきますからね、私。なんか切なくなるの、光一くんの笑顔の写真とか見ていると…。特に太陽の下にいて笑ってる光一くんの写真なんか見てるともうダメっ!泣けちゃう!光ちゃん、太陽似合わない・・・あんた、いつからこんな子に・・・(よよよ)。みたいな訳の分からん切ない感情が湧いてくるのは何故なのでしょうね〜 私だけかな〜


とにかく、私はこれからも堂本 光一に萌え、堂本 剛の提供するストーリーに敗北し続けるファンでいたいと思います。そう、「敗北」も剛さんを語るにははずせないキーワードなのです。私は基本男を過剰に力のある存在だと思ってしまう頭の古い男尊女卑型の人間なので、良い所も悪い所も物凄く男らしい剛さんにはいつも「敗北感」を味わっています。


↑こういうウザイ語りは「続きを読む」にしたいんだけど、やり方がようわからん。出来ないの。何で〜。