剛さんのツアーが終わって。ソロ活動の意義

それにしてもライブの剛さんが格好よかった。はっきり言って私は堂本 剛をナメてました。そう認めざるを得ない位、今年の夏の剛さんは、いちいち前回のソロツアーと比較しなくても、色んな面で人間的成長を見せてくれたと思います。あー素晴らしか。こういう時若いアイドルのファンをやってるって素晴らしいなって思う。男が30過ぎてここまでめざましい成長も何も無いですからね。特にアイドルって「スピード感」を持って生きてると思うので、それについていくのが大変。何度も振り落とされそうにあるけど、その分感動も大きいし、楽しいです。
それにしても剛さんは意欲に溢れた男ですね。今の世の中、あれだけ自己表現の意欲に溢れた若者ってどれだけいるのでしょうか。凄いことだと思いました。アルバム聴いてても思ったけど、あの表現衝動を支えるものは、知識でもテクニックでも無くて、彼自身の意欲なんですね。それはアイドルとして縛り付けられてる部分が多いが故の解放されたい欲求の高まり、とも言えるけど、私はもっと純粋なものと捉えたい。
でもなかなか、彼自身はそういう肯定的な文脈ではソロ活動を語れない場面なんかもあって。というかそんな場面が殆どで。「ただ歌が好き」とか「音楽が好き」と言っているだけでは、周囲は「でもキミはKinKi Kidsでしょ」って簡単に納得はしてくれないのですよね。そしてわざわざKinKiを持ち出して、「何故KinKiの活動だけでは駄目なのか」語る羽目になる。ただ彼には二通りの表現方法がある、というだけなのに、その度に純粋なKinKiのファンが心を痛めたりする。でも、考えてみて欲しいのは、ここで100%KinKiを肯定して語られた方が、かえって不安になるのでは?ということ。それこそ彼がKinKiでいる意味が無くなってしまうと私は思う。彼の様な人は、ソロではKinKi Kidsじゃできないことをやるのが当たり前だと思う。
じゃあ「こーたんはどうなの?こーたんのステージは、ザッツ堂本 光一ワールドでありながら、ちゃんとKinKiだったよ、そうあってくれるのがアイドルなんじゃないの」と思われるかも知れませんが、私は剛さんと光一さんの表現活動というものは全く種類の異なるもの、丁度真逆に位置されるべきものとして捉えているので、どちらも肯定したいし、どちらも「KinKi Kidsのソロ活動」として、認められるべきものだと思っています。二人の決定的な違いというのは、表現に対する「衝動」なんじゃないでしょうか。剛さんは自己表現衝動の塊の様なお方で、それは何故なんだと問われればきっと「生きているからだ By.ライブの不思議なポエジー」と思うのですが、こーたんは生きてるからって別に自分を表現したいとかはあまり無いと思うのですよね。「お客さんから要望があれば、その時に自分が観せられる最高のものをお観せする」というスタンスを貫いているだけで、別にKinKiの時も、ソロの時も基本的なスタンスは変わらないと思うのですよ。


(時間が無いので、あとで追記します。)