(分けたことに余り意味は無いけど、上記の続き)ファンとしてのスタンス

まーごちゃごちゃ言ってますけど、結局私が何が言いたいかって言うと、「剛さんと切り離された場所(しかもコンサート)で観た光一くんの存在感を全肯定出来ることが悲しかった」ということなんです。
で、それが何故悲しいかというと、
「私は光一くんと切り離された場所で観る剛さんを全肯定することが出来ないから」
なんですよ。
私ね、剛さんって好きなんだけど、「嫌い」なんですよ。大大どぅわ〜い好きなんだけど、大っ嫌いなの。「愛」と「憎」の紙一重のスリルを味わうのがファンとしての醍醐味だと思ってるし、その紙一重をギリギリの所で「愛」に踏みとどまらせてくれているのが、私には堂本光一の存在なんですよ。例えば一般の人に「私、光一嫌い」って言われると本当に悲しいんだけど、「剛キライ」って言われても「まぁ、それは仕方無いかな」って思っちゃうんですよ。何でだろうね。
それは私の考える彼のタレントとしての引力の問題だと思うんですけど、剛さんって人はそれが過剰に強い人だと思う。実に器用。実に何事もソツなくこなす(様に少なくとも私の目には見える)。しかもお母様に「悔しがってる所を見た事が無い」なんて言われちゃう様なオトコ。「昔から二番が好き」とか言っちゃう、ナチュラル・ボーンエゴイスト。(これは、本気を出せばいつでも一等賞を取れる人だけが言える台詞だ)
どうして私がそんな嫌味な男(ごめんなさい)を好きになれたかと言うと、彼がKinKiだから。隣に光一くんがいるからなの。光一くん込みのKinKiでその才能を発揮する彼がすきなんですよ。だから、剛さんが「ソロ活動はある意味KinKi Kidsのためという所があるだろう」と言ってましたけど、そういう彼だから好きなの。おととしのソロコン、アンコールで一曲も自分の曲歌わなかった彼だから好きだと思えるの。だから「堂本剛万歳!」って思えるんですよ。
櫻井淳子さんから光一くんとのキスシーンの体験談を聞き出さんと椅子の位置変えてまで身を乗り出す彼だからサイコーなの。これは違う?まぁ、いいじゃない。そういうことにしとこうよ。
ああ、無駄に長くなった上にまとまりが無い。
■まとめ
まぁ、私が言いたいことは「光一くん、MAと仲良すぎ」ってことでしょうか。
いや、違います、違います。ともかく、あの切なさは「Shock等の舞台と違い二人でも立つことの出来る『コンサート』という場で、KinKiの世界観の延長線上ともいえる、あくまでKinKiKidsの「片割れ」・堂本光一としての一大エンターテイメントを提供し成功させた彼と、それに満足し切ってしまった、二人揃ったKinKi至上主義の筈の自分に対する戒め」みたいなものかな。自分で書いてて、文章の意味がさっぱり分かりませんね。
ともかく、あの切なさは、戒めなのです。