すごく好きな書評ブログで取り上げてられていて、タイムリーだったので読みました。

こどものためのドラッグ大全 (よりみちパン!セ)

こどものためのドラッグ大全 (よりみちパン!セ)

わたしは、ドラッグをやること自体が悪いとは思いません。
ご存知のように、広義には煙草やアルコールもドラッグに含まれます。どちらも我々が日常的に嗜むものですが、極めて依存性が高くタチの悪いドラッグであることは、本書でも指摘されています。法律で禁止されていなくとも、大きなリスクがあることに変わりはありません。ドラッグについて考えるとき、「法律で禁止されているか否か」が、さほど大きな意味を持つとは思えません。街のコーヒーショップでマリファナが購入できる国があることは、皆さんもご存知であると思います。


筆者の言うように、未知の感覚や快楽に強烈な誘惑を覚えるのは、人として当たり前のことだと思います。
ただ、普通の人はそれを“やった”あとに、自分の身に何が起きるか、一通り考えをめぐらせ、さらに踏みとどまることができるのだと思います。煙草をやる人も、お酒を嗜む人も、まさかそれら嗜好品のリスクを全く知らずに楽しんでいるわけではないでしょう。むしろ十二分にリスクを把握したうえで、それでも手放すことができずに、日常のかたわらに置いているのでしょう。実際、私は煙草はやりませんが、よく言われるように「百害あって一利なし」などとは決して思いません。喫煙コーナーで煙草を片手に、少し気だるそうにやり取りをする大学の同級の姿を、かすかな憧憬を持って眺めていたものです(ここでは敢えて受動喫煙の「百害」について言及するのはやめておきます)。

お酒も同様です。お酒の席で気安くおしゃべりをしたことが、その後の人間関係の構築に一役かった。そんな経験が、一体どれほどあることでしょうか。それほどアルコールは嗜まない私も、お酒には数え切れないほど助けてもらった気がします。
今後、煙草は一生やることはないと思いますが、お酒を1滴も飲まない人生は想像すらつきません。どこかで酒を飲み、尋常ではなく気分を高揚させ、時に他人に迷惑をかけたり、みっともない姿をさらしたりして、これからも生きていくのでしょう。時たま金曜の終電などで、4、5名分の座席を陣取って寝込んだり、嘔吐したり、怒鳴り散らしたりといったこの上なく醜悪な姿を見せているサラリーマンを見ます。ああいった姿を見せることも、社会人としては非常にリスキーであると私は思います。それもお酒がもたらすリスクのひとつではないでしょうか。

ただ、一時の最高の快楽の前では、人間は最早、踏み込んで考えることができなくなる。人間の想像力を奪うこと、それこそがいちばんの問題であり、それがドラッグの本質なのだと、わたしは思っています。想像力を失ったら、人間は終わってしまう気がします。なぜなら、自分に対して、他人に対して働かせる想像力、それは「思いやり」だからです。

『どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない』といったのは寺山修司だったでしょうか(寺山修司詳しくないのですみません)。ドラッグはやはり、恐ろしいものだと思わずにいられません。