最近聴いた『駅までは同じ帰り道』があまり素晴らしかったもので、ついついこんな長文を書き連ねてしまいました。某さん、ネタを真似してごめんね……でもトラバはしないよ……。


(導入)
駅までは同じ帰り道』にある、♪「さん付け」で呼ぶ、という歌詞。これにたまらなくときめいた。
「さん付け呼び」で思い出すのが、ドラマ『Summer Snow』。私は夏生&ユキのカップルが割合好きなのだが、ユキが「夏生さん」呼びから「夏生」呼びにシフトしたとき、急激に萎えた。ハートの萌えゲージが急降下していく音を聞いた。思えばあれも「さん付け呼び萌え」だった……。








(本文)
最近某さんが「さん付け呼び萌え」*1の話を日記に書いていました。私も同じく「さん付け呼び萌え」です。光一くんが「剛さん」と呼んでいるとみょうに嬉しいし、剛さんが光一くんのことを「光一さん」と呼びかけると、なんだか心がさわぐのです。
普段から私は友人のことを「さん付け」で呼ぶことが多く、愛称で呼ぶことがあまりありません。
とくに女の子の友達相手では、知り合ったその日に携帯の番号を交換して、「じゃ、アタシのこと○○(呼び捨て)って呼んで。で、(あなたのことは)なんて呼べばいい?」という会話になるパターンが多いように思うのですが、私はまだ相手のことをよく知りもしないのに呼び捨てる勇気が出ず、また、相手に呼び捨てられることに対する違和感も拭いきれず、ついつい「じゃあ○○ちゃんって呼ぶね。私にはあだ名がないので、適当に呼んでください。」という、なんとも血の通わない、うまくない対応をしてしまうのです。これじゃあいけないと、何度も思いつつも、実際私にはあだ名はもう存在しないし(昔はあったけど)、名字に「さん付け」で呼ばれることの方がはるかに多いので、結局特定のあだ名がないままこの年齢まできてしまいました。
でも私は「さん付け」で呼ぶことも呼ばれることも好きなので、それでかまわないと思っています(それでも心のどこかであだ名がないことを寂しく思っているのも事実。なんたる矛盾……)。
あだ名というのは、「愛称」とも言われるように、呼び名に相手に対する「親愛」の情をわかりやすく込めたものです。この「わかりやすさ」というのが、人間関係が出来ていく初期段階では、結構重要なものです。一般的な女の子が呼び捨てで友達に呼ばれたがるのも、相手の愛情を形にして確かめたいからなのじゃないかなと思います。
確かに、名前はその人だけの固有のものなので、それで呼び捨てにされるというのは、なんとなくスペシャルな響きをもつものなのだと思います。実際、先週の仮面ライダー響鬼でヒビキさんが明日夢くんを「明日夢」と呼び捨てにした、そのヒビキ……もとい、響きにはスペシャルなものがありました。あのときの明日夢くんは間違いなく乙女でした。どこに出しても恥ずかしくない、『恋涙』の歌詞とも闘えそうなくらいの乙女ぶりでした。
彼はわかりやすさを求めているのでしょう。それはまだきっと、少年が「ヒビキさんと対等である」という自信がないから。だからああしたわかりやすい相手からの歩み寄りに、胸をときめかせてしまうのでしょう。


でも「萌え」と「わかりやすさ」はオトモダチにはなれません。「萌え」というのは、裏の裏の裏の裏の裏の裏を読みに読んで、オタクが妄想を膨らませて発動するものなのです。そういう意味で、「親しい相手を敢えて『さん付け』で呼ぶ」という矛盾には、この上なく甘美なモノを感じてしまいます。たとえばKinKiさんの呼び名の変遷を考えてみましょうか。剛さんは昔、間違いなく光一くんのことを「こうちゃん」と呼んでいました。今はどうでしょうか。「光一」 or 「光一さん」の2パターンです。彼の口から「光ちゃん」が出るのはたまに即興で歌うときくらいです。光一さんは昔は「剛」、今は「剛」or「剛さん」の2パターンです(その日の気分で若干「剛さん」がアレンジされるパターンもあり)。昔の光一くんなら、剛さんのことを「さん付け」で呼ぶことは余り考えられなかったでしょう。10代の時期にあって、1学年の差はなかなかに大きい壁です。時が経るにつれ、自然に光一さんは「剛さん」呼びにシフトしていった*2。これは二人の関係が対等なものになっている証なのではないでしょうか。




こうした一連の変化を寂しく思いますでしょうか?「昔のように、剛くんには光ちゃんのことを『光ちゃん』と呼んでほしい」そのように思われますか?私はむしろ、距離を置いた呼び方に、二人の関係性の発展を見る思いがします。ポジティブな風を感じてしまいます。それがたとえ、ただのオタクの妄想だったとしても、私はポジティブに生きたいのです。






およよーん。話が長くなった……。そういえば、


光一くん。
剛さん。


私がいつも使うこの呼び方にも、私自身の二人に対する距離のとり方が如実にあらわれている気がします。二人に対する隔たりの感じ方の違いが明瞭過ぎて、恥ずかしいくらいです。



今度は「どの一人称(あるいは二人称)が萌えか?」という話をしたいと思います。

*1:いや、硬派な呼び名萌えか

*2:もちろん今でも呼び捨ての方が多いし、10代のころだって私が知らないだけで「さん付け」で呼んでいたこともあったかも知れません