YOSHII LOVINSONさんの『SWEET CANDY RAIN』を聴いているんですが、何かちょっと死にたくなります。吉井さんの曲はどんな曲を聴いていてもどこかに死の匂いを感じる。「死」を凄く深く見つめている人だと思う。そういえば吉井さんが「女の人の目線で詩を書くのは、女の人はとても強いから。男の目線で書くとどうしても弱くなっちゃう」的なことを仰っていたらしいんですが、剛くんもこんな感じなのかなとおもいました。私は、女が強いと言うよりは「状況にあわせ男であれたり女であれたり出来る、人間的容量のでかい人」が強いんじゃないか、と思います。「モテる男はどこか女性的である」と三島由紀夫も言っていたけれど、外見とのギャップの伴った、男女それぞれの内面の「男らしさ・女らしさ」、例えばいかにも無骨そうな男の意外な「繊細さ」、見るからに儚げな女性の「芯の強さ」というのは、人を魅了するダイナマイトブラボーな美点となるのだろうと思います。ここできわめて重要なのが外見との「ギャップ」であります。私の友人の光一さんファンは「光一さんが『男らしい』と言われ続けるのは、外見とのギャップが大きいからだ」と言っており、私も首肯する事しきりな訳だが、とにかく人は内面を見つめる時も、その見た目とは完全に切り離して考える事は出来ないのじゃないか、と私は考えます。ルックスによって性格も変わってきますからね。言ってみれば環境の一つみたいなもので。だから私はヒトがルックスばかり気にしてしまう傾向にあるのはある意味当然だと思っているのですが、あるときカヒミ・カリィさんが恋愛する相手に関して、「ルックスそのものがタイプかどうかより、そのルックスを本人がどう受け止め付き合っているかが大事」と仰っていて、共感する所大でございやした。そう、ルックスそのものが自分の好みであるか否かより、そのルックスと本人がいかに付き合っているか、それが大事だし、気になる所なのであります。その点キンキさんというのは本人達の自分のルックスの受け止め方も、全然違っているんじゃないでしょうか。私の中では剛くんは結構自分の顔が好きでしょっちゅう鏡とか見ているイメージなのだが(彼はモニターをよく見てますし)、光一くんは逆に鏡を見つめても自分の顔の事は忘れて「鏡ってどういう仕組みでモノをうつしているのかしら」なんて、本来の目的を忘れていそうなイメージであります。勿論本当の所はどんな感じかは分かりませんが。
「男らしい」「女らしい」の話からそれてしまった! いやまぁ、KinKiファンなら黙って『Natural Thang』を聴け、ってことで。そう、男らしいとか女らしいとかどうでもいいんだよ。何が言いたいのかさっぱり分かりませんが、要は剛くんの言うとおり、「ギャップは大事だよ」と言うことで。私が何故堂本光いちさんが好きって、彼の身体がギャップで構成されているからなんですけど、まぁそれについて語ると長くなるんで、また今度。