メールを下さった方

貴重な御意見聞かせて頂き、本当に有難うございます。
私一人が聞いているのは勿体無い位、興味深い御意見が聞けます。
励まして下さった方、有難うございました。
数日中にお返事は必ず致します。
コメントを下さった方も有難うございました。
私の文章で御不快になられたとして、それはもう、全部の責任は私にありますよね。
全部私が悪いんです。他の誰が責められるべき事でも無いです。私が存在しなきゃ、相手の方はそんな想いをせずに済んだ訳ですから。
そして、それを言葉にして表すというのも、誰かに対する深い愛情故ならば、それはそれで、存在して然るべき愛情のかたちなのだと思います。「ここは私の日記なんだから」と言ったって、語っている内容は「みんなの剛さん」についてです。ファンの在りようを私個人が決められるものではありません。不快の余り、コメントを残すまでも無いと思われた方も沢山おられる事でしょう。
ただ、分かって頂きたいのは、
「私はファン全員の方に私の意見に同調して欲しい等と申し上げている訳では無い」
と言う事です。

それでも、最近友人が言ってくれた言葉なのですが「少数派の意見こそ、ブログに書く意味はある」。私も本当にそう思うんです。だから「剛さんのファンとして」ああやって否定的な主張も含む文章を書きました。

極論で言えば、私はタレントを攻撃する種類のファンですら、「存在してはいけない」等と考える事は出来ないのです。匿名でそれを発表して、他人を煽動して、貶めて。誉められた行為では無いですし、人間としてどうかと思う部分もありますが、真鍋かをり式に言うと
「やらせてあげましょうよ」
です。
これは真鍋さんが2ちゃんねる等で暴れている人たちについて仰っていた事なのだそうですが、勇気ある意見だな、と私は思いました。
否定的意見は、「いちファンの意見で潰される様な人では無い」と思える、魅力のある人にしか言えません。言ってみれば、私には、批判する相手の懐の深さに甘えている様な部分があるんです。その点に関しては、本当に剛さんには申し訳なく思っているし、改善していかなければと思うのですが‥‥。

今後の身の振り方に関してはただ今思案中です。
なんかもう、どうしていいか分からなくなる時があるんです。こうやって剛さんの事を書くと、光一さんのファンの方が肯定的なメールを下さったりするんです。「剛さんについて思う事も、傷つく事もあったけれど、それを『剛さんファンである方が』指摘している文章を読むと、少し心穏やかになる」と言う様な御意見です。
でも、剛さんのファンからはどんどんどんどん嫌われてゆくんです。
剛さんを100%肯定すれば良いのでしょうか。
それが愛なのかな。 
でも昔ある人も言っていたけれど、私は「何でも出来る人=何にも出来ない人」だと思うんですよね。私の中で、全肯定することは全否定することとニアリーイコールです。
行為の種類としてですが。


シリアスに書いてみました。
取りあえず私は元気です。多分今後も基本的な考え方は変わらないと思います。