男性が歌う、女性視点の歌詞について

今日発売のMyojoの剛さん見てぶっ壊れた人、手え挙げてっ、
はああああーいっ!!!
という訳で、もうもう、手を挙げて賛同を示すのに、腕が二本じゃ足りない、腕が三本欲しい、いや、四本!!!四本欲しい!!つーくらいMyojoの剛さん、激カッコ良かった。

えーと、女性目線の歌詞について、色々思う事があります。
今回(6月9日リリースのセカンドシングル『WAVER』)には収録されていないけど、剛さんて女性視点の詩がとても好きですよね。これってかなり好みは分かれると思うんですけど、私自身は結構、面白いから好きです。女の言葉でも無く、男の言葉でも無い、そういう曖昧な感じがちょっと気持悪くて、ぞっとする感じがいいんです。そして、そういう曖昧な言葉で、どぎつい事歌われるのに弱い。関係無いけど、浜崎あゆみなんかも、本人作詞ですが、一人称が「僕」の歌が多いですね。
私の敬愛する吉井和哉さんも、昔バンドとして泣かず飛ばずだった頃女性視点の歌詞をよく書いていて、売れてからそのことについて質問されて、「その頃は自分が女性にひどいことばかりしていて、女の口を借りて、男への恨み言を連ねることで、自分の中の罪悪感を浄化していた」っていうようなことを言っていて。私は「アーティストっていやらしいわ」と思ったんですけど・・・
で、KinKiさんの場合なんですけど、去年、『薄荷キャンディー』というシングルをリリースした際の週刊ザ・テレビジョンの二人のインタビューで、通常版BTの『I』についても二人が話していて。『I』は光一さん自作曲の中でも唯一の女性視点の曲だけど、その詩について剛さんが「光一が普段女の子に冷たいから、こういう風に思っててくれたらいいな、って願望やろ?」みたいなことを言って、光一くんに思いっきり「違う!」って否定されてましたけど、この剛さんの発想を読んで、吉井さんの話を思い出しました。
でも同時に剛さんはこの歌詞を「ちょっと神秘的な感じもした」とも言っていて、やっぱり彼は究極のドリーマーだなあ、と。神秘的なんて言葉、普通出ない。7年に一回、使うかどうかって言葉だよ・・・ってそれはまあいいとして。
で、肝心の『I』の詩なんですけど、光一くんの場合一人称が「私(わたし)」なんですよね。剛さんは一貫して「あたし」な訳ですけど。より「女であること」のイメージを突出させたい剛さんの拘りと、さほど視点の男女の差なんて気にしなそうな光一くんの違いが明確に出ています。(因みに吉井さんは「私(わたし)」でした)
私の場合、一応女として、どっちのイメージに共感(というと語弊があるか)しやすいかというと、光一くんなんですよね。どちらの感性が女性寄りだとか、そういうことじゃないけど、光一くんの方がより女のせつなさを理解してる気がする。その昔、ラジオで不倫の相談の葉書に対し、「女は愛されてなんぼなんだから、不倫なんか絶対やめた方がいい」って切々と語っていた、やたら説得力のある光一くんを想い出します。


あとこの曲で興味深いのが、剛さんのフェイクなんですけど、これ、ちゃんと光一くんの歌詞にあわせて「わたし」って発音してるんですよね。これは曲全体を通して二回聴ける訳ですけど、聴く度に何となくじーんとする。何故だろう。

今日は、地下鉄に乗っている間中、そんな様なことを考えていました。