日記を書くこと

日記を書くこととは、例えば何かについて、私ならKinKiについて漫画について語るのでも、あくまで自分という不純なフィルターを通して語る訳ですから、広く言ってしまえば「自分の考え」、もっと言うと「自分自身を語ること」にもつながると思うので、その意味で物凄く自己満足的なものですよね。


言ってしまえば、これは私の、私の人生に対する言い訳です。
自分自身を説明することって、言い訳と似ていると思う。
だから、光一くんって自分について語ることが苦手なんじゃないかな。
剛さんは自分語り、大得意ですね。彼の日記が読めるなら是非読んでみたい。

ローソンコンビデオ

このビデオの、『・・・。』の最後のフレーズを歌いきったあと、そのまま下を向いてさっさとはけていく剛さんがむちゃくちゃカッコ良くてたまんない・・・。

あの淡々とした様が。
さすが天下のananで、『今、足蹴にされたい男ランキング』で堂々一位になっただけのことはありますね。(注・くれぐれも冗談です)


あとリハの堂本光一の横顔が素敵。
私、光一くんの顔は真正面から見るのも好きだけど、一番好きなのは横顔かも知れない。彼の鼻がとっても好きなんで。芸能人って鼻筋が綺麗じゃないとつとまらないと私個人は思ってるんですけど、その中でも彼の鼻筋の美しさはぴか一ですね。鼻最高。あれだけ高さがあるのに顔がバタ臭くならないのは、形が完璧に整っているからなんですよね。いーなー。女性には無い鼻だけど、かといって男性らしさを醸し出す訳でもない。
彼の顔は絶妙なバランスを保って、見れば見るほど不思議な雰囲気です。


今日は堂本兄弟の無い日曜日だった。
兄弟の無い日曜日なんて、グラビアページの無いヤンマガぐらい味気無いものだ。眉毛を細くした堂本剛くらい許しがたく、KinKiのFC会報のコンレポ文の支離滅裂さくらい、耐え難い。それは「勉強しようと思った矢先親に『勉強しなさい』と言われた小学生のやる気」くらい、日曜日に対する私のそれを低下させてしまう残酷な仕打ちであることを、フジテレビは分かっているのだろうか(わかってたりして)。

小林七郎

今日は久々に少女革命ウテナの劇場版を見た。テレビアニメシリーズと違って、話もキャラデザも美術も声優の演技も、何もかもが弾けてて気持ちいい。
特に小林七郎の美術!最高。マジ最高。言うこと無し。校舎から伸びる細い細い階段の上の天空の決闘広場から、薔薇の花びらの雨が落ちてくる所なんて、もう鳥肌ものじゃないですか〜!!ああ〜ウテナ最高。音楽もとても美しくビジュアルと絶妙に調和していて、このシーンは完璧です。
校舎のデザインもめちゃくちゃでいいっ!こんな絶えず「動いてる」校舎、初めて見ました。教室の中の黒板すら、じっとしちゃいられない。あー、カッコイイ。劇場版ではよく『↑』『←』『↓』『→』のマークが「革命セヨ」の『命令』を意味する象徴として頻繁に見られましたけど、この矢印のマークを巧く使った根室記念館も好きだった〜。

でも劇場版のキャラクタデザインは初期のさいとうちほ色が薄くなってしまってて、残念。女性ならではの色気の漂う男装の麗人ウテナ』像がよかったのに。やはり男性が描いたものはねぇ・・・あんな分かりやすく男の欲望の対象となり得るウテナは、私のイメージでは無いです。エヴァの長谷川眞也さんのデザインも嫌いでは無いんですけど、やっぱり私はさいとう派ですね。私が女だからでしょーか。
劇場版は理事長役の小杉十郎太さんがおろされて、及川光博さんが担当されてました。小杉さんスキーとしては残念だったけど、ミッチーは好きだしエンディングもよかったし、まぁ、仕方無い。パンフにあった彼のことば、
「絶望なくして、希望なし。希望なくして、絶望なし。」もよかった。



パパもママも・・・みんな死んじゃったのに、
私だけ生きてるなんて、気持悪いよね・・・
生きてるって気持悪い・・・

私がウテナで好きだった台詞。
こういう、「もろ思春期」なことばの数々がとても好きだった。これが榎戸洋司さんの才能だろうか。