SとMの世界

なんかドSの話題がちらほら出ていますね。<キンキファン界隈


以前、『殺し屋1』にはまっていたときに、人間の暴力と性愛の関係(ひらたくいうとSM)に興味がわいていろいろ調べてました。痛覚を脇に置いて話すなら、わたしが、SとMのどちらかの立場を選ばないといけないなら、Mのほうを選びます(いや、痛覚を切り離してこの問題を語ること自体、ありえないのはわかっているんですけど)。なんでかというと、Mのほうが負担が軽そうだからです。結局、SMの関係というのは、Sの人がMの人を導いてあげないと成立しないのではないか、Mのほうはそれを受け入れるだけでよいのではないか、というイメージがあるのです。もちろん関係は双方からのコミュニケーションがないと成り立たないはずですから、MのほうからSに対して応えることもあるでしょうけれど、関係のきっかけ、スタート地点をつくらなければならないのは、いつでもSのほうだと思うのです。

そのため、SMカップルが外でおイタをして、何かしらしっぱいして外の人に謝罪しなければならない場合、Sがすっと前に出て「…すみませんでした(深々)」と頭を下げて、MのほうはSの背中の後ろで様子を伺いながらひたすら恐縮している…。なんかそんなイメージがあるんです。


どんなイメージだよ、という突っ込みはなしの方向で…。
以上、速水真澄がお送りしました。