偉い人になりたかった

今日知り合いに、「たとえ殺人者にでも、たった一つくらい肯定されるべき真実はある筈だ」と言ったらひどく怒られた。間違った事は言ってないと思うが。だって世の中の事象全て、全肯定するのも難しいけど、全否定するのなんてもっと難しいじゃん。だから「あの人の全てが嫌い」なんて決め付ける人はあんまり好きじゃない。「全てってなんじゃ?」と思ってしまう。「全て」って何ですか?私の全てって何だろう。あなたの全て。
そもそも「キライ」という感情はどこから生まれるんだろう。例えばネット上に平気で悪意に満ちたことを書く人っていうのは、実生活でも「キライ」な人にその感情をぶつけていく、まではいかなくともそれと無くアピールして排除していくんだろうな。私なら自分が「キライ」とまで思う様な人間に自分の負の感情を悟られる事実が既に耐え難いので、普通に接すると思うけど。私って性格悪いな。


学者になりたい。
偉い人になりたかった。偉い人じゃないと、最終的にはあらゆる事象を客観視出来ない気がする。たとえば、事柄を集約してみても、それを上からの視点で見られないと全体を見渡すことなんて出来無い。全体が見られなければ、客観的にモノを見るなんて不可能である。でも立場が無くて上からモノを言うと、ただ偉そうな人になってしまうし。
学者はいい。偉いから。客観視できる人って偉い。尊敬する。

そういえばMステなんかで、剛さんとかタモリさんに「なんでそんな偉そうなの?」と言われてたけど、彼は偉そうなんじゃなく、「偉い」んだと思う。